高校数学の延長は "現代数学" ではなかった。| 代数的構造(遠山啓著)から見た視点
遠山啓氏の『代数的構造』の記述をベースに、この「地続きの延長線」と「ものの見方のパラダイムシフト」の2つの側面から解説する。
1. 「地続きの延長線」としての側面(内容の発展)
Section titled “1. 「地続きの延長線」としての側面(内容の発展)”高校数学で学ぶ多くの概念は、現代数学の入り口や、現代数学の言葉で整理される前の「具体的な具体例」としてきれいに繋がっている。 つまり、高校数学は現代数学という巨大な建築物を建てるための、上質な「建材(具体的な素材)」をひたすら集める期間だと言える。
- 微積分(高校) 解析学・微分幾何学(現代): 高校で学ぶ「関数の微分・積分」は、現代数学ではより抽象的な「多様体(曲がった空間)」の上の解析学へと発展する。アインシュタインの一般相対性理論に使われるような数学も、高校微積分の延長線上にある。
- ベクトル・行列(高校) 線形代数学・群論(現代): 高校数学で扱う「ベクトルの足し算」や「内積」は、現代数学における「線形空間(ベクトル空間)」という代数的構造の最も基本的な具体例である。
- 数直線と極限(高校) 位相空間論(現代): 高校数学で「 が に限りなく近づく」と曖昧に習う極限の概念は、現代数学において「近傍」や「開集合」という言葉を使い、位相的構造として厳密に再構築される。
2. 「パラダイムの大転換」としての側面(視点の断絶)
Section titled “2. 「パラダイムの大転換」としての側面(視点の断絶)”高校数学から現代数学へ進むとき、多くの人が強い「断絶」を感じる。それは、遠山氏が本書で指摘している「数学という学問の目的そのものの変化」に原因がある。 高校までの数学と現代数学では、「対象から関係へ」「現実世界の模写から空想的構成物へ」「計算から建築へ」といった「ゲームのルールの変化」が起こる。
2.1. 「対象の科学」から「関係の科学(構造)」へ
Section titled “2.1. 「対象の科学」から「関係の科学(構造)」へ”- 高校数学まで: 主役は「数」や「図形」という具体的なオブジェクト(対象)である。それらを計算し、解(数字)を出すことが目的である。
- 現代数学: 主役はオブジェクトではなく、オブジェクト同士の「関係性(構造)」である。遠山氏が述べるように、現代数学において数や点はただの記号(無定義語)であり、それらが「どういうルールで結びついているか」だけが問題になる。
2.2. 「客観世界の模写」から「空想的構成物」へ
Section titled “2.2. 「客観世界の模写」から「空想的構成物」へ”- 高校数学まで: 19世紀以前の古典的な数学に基づいているため、「目に見える現実世界(物理的な空間、物の個数)」を正確に記述するための道具という色彩が強い。
- 現代数学: 遠山氏が「現実世界のなかに対応物をもたない空想的な構成物」と言い表したように、現実世界の常識から完全に離れる。例えば、100次元の空間や、要素が有限個しかない数(有限体)の世界などを、論理的な矛盾(内的整合性)がないという保証だけで自由に創り出す。
2.3. 「計算(アルゴリズム)」から「建築(構造)」へ
Section titled “2.3. 「計算(アルゴリズム)」から「建築(構造)」へ”- 高校数学まで: 圧倒的に「時間的・動的なアルゴリズム(計算の手続き)」が重視される。
- 現代数学: ブルバキが提唱したように、数学を「位相・順序・代数」という3つの基本構造からなる「静的な建築物」として眺める。計算することよりも、「その空間がどのような性質(対称性など)を持っているか」を分類・証明することに主眼が置かれる。
現代数学の立場から振り返ると、高校数学は「現代数学という高度な抽象世界を理解するために、あらかじめ具体的な泥臭い計算を経験しておくための、いわば『プレ・ステップ』」に位置づけられる。
高校数学を勉強しているときは、目の前の「計算のうまさ(アルゴリズム)」に終始してしまいがちだが、大学以降の現代数学に入ると、それらの計算がすべて「美しい抽象的なお城(構造)のなかを歩くためのステップだった」と気づくことになる。(いいえ、気づけません。(ブログ筆者追記))
したがって、高校数学の延長線上に現代数学はあるが、そこを飛び越えるには、「計算する学問」から「構造を組み立てる学問」への、ドラスティックな頭の切り替えが必要になる。
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